えびす日記

CHOVE CHUVA では店主以外に、恵比寿(えびす)がお出迎え。

恵比寿

こちらのページでは恵比寿の日々の様子をお伝えします。恵比寿ファンは必見です!!

追悼小澤敏也

小澤敏也.JPG

店長のカナミです。


2013年11月18日 パーカッショニスト小澤敏也さんが膵臓癌の為、52歳の若さで
逝去されました。


ショビシュバにとってなくてはならない存在だった小澤さん。
2001年5月にショビシュバを立ち上げてその年の秋に初めてピカイアがやってきました。
それからずっと12年も、この店を大阪のホームグラウンドとしてくださりました。
年に2度やってくるピカイアの二人に「いい店だな」と言われたくて、ネガティヴだとすぐに
2人は感づくので、そうならない様、いい店にしようと心がけました。
ピカイアと一緒に歩んできたといってもおかしくないです。


たくさん相談にも乗ってもらったな。よく飲みにいったし、我が家にもよく泊まりに
きて朝までずっと話しました。熱く真っ直ぐでちょいと言葉が悪くて、
でもあんなに人の事を常に気遣ってる人はあまりいないとうくらい、謙虚で気遣いの
人でした。たまに落ち込んでるときもあったけど、自分は幸せだといい、次に会ったときには
乗り越えていました。
頼りにしていました。店とミュージシャンの関係だけど、それ以上の近い存在でした。


小澤さんの真直ぐな人柄は、誰もが彼を好きになり、よき兄貴分として大阪の音楽ファンや
ミュージシャンから頼られ、どんどん人を引寄せていきました。
その輪は大きく、彼の思いが軸となり、今でも広がり続けています。
小澤敏也パンデイロワークショップの時、5時間くらいずっと喋りっぱなし叩きっぱなしの
時があって思わず「小澤さんしんどくないの!?」ときいたら「オレさぁ、不器用だから短く
説明できなくて長くなっちゃうんだよ~ でもみんな熱心だよねうれしいね~ 伝わってる
かなあ伝わるといいなあ」と笑いながら答えてくれました。
そんな小澤さんについて来ない人なんていないでしょう?


ここ数年はPPS以外でもよくライブをしてくれて、大阪に住んでるんじゃないか噂まで
流れたことがあるほど、大阪を好きでいてくれました。


最後に会ったのは8月です。どうしても広島と大阪は行きたいんだ、と電話で
言ってくれて、ライブをしてくれました。その時皆と約束してくれました。また
必ず戻ってくるから、と。


5月に癌の告知を受けて小澤さんはそれを周りには黙っていました。
どんなに強い人なんだと。
たくさんの苦しみ、悲しみ、淋しさを感じただろうに、周りに心配をかけたくないという
強い気持ちがそうさせたんでしょうが小澤さんらしすぎます。


小澤さんは星となってしまった。


はっきりいってまだ淋しいです。もう会えないと思うと心がギューっと苦しくなります。
寂しくて堪りません。


でもおとついより昨日昨日より今日、少しずつ思い出しても泣かなくなりました。
いろいろ話したことを思い出して笑えてきます。ああ~本当に会えてよかったな
ありがとうって大声で叫びたい気分です。
小澤さんはやっぱすごいや。
フェイスブックなどでの小澤さんへの記事が多くて、どれもこれも愛に満ちていて
本当にすごいと思います。えへへって照れた顔が目に浮かぶ。


彼が蒔いた種は確実に芽を出し育っている。ここ大阪でも芽が顔をだしている。
それは小澤さんの与えてくれたものであり、小澤さんの存在した証です。
それを見逃したくありません。


それがショビシュバを続けていく理由の一つに加わりました。
小澤さん本当にありがとう。
どうかゆっくり休んでください。
いつか行きます。その時まで。

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